再生和太鼓

再生和太鼓はこうして作られました

制作:宮本卯之助商店

2011年6月瓦礫置場の許可を頂き、宮城県東松島市、石巻市雄勝地区、南三陸町の被災地沿岸部と、美里町、涌谷町の最大震度を記録した内陸部の瓦礫(思材)の材質や搬出の為の調査が終了し7月炎天下の中、水道も電気も店も無い石巻市雄勝地区で朝から作業が続けられ2tトラック2台分の思材が運ばれました。その後約半年間倉庫に移動された思材は乾燥され、湿気の無い11月から本格的な制作が始まりました。制作前から懸念されていた海水による製作機材の消耗は予想を上回り、重ねて柱の中に埋まっている釘なども製作を困難にさせました。それでも前に進む事を決めたのは、被災地のふるさとを繋ぐ物としてその完成を心待ちにしている人たちがいるからでした。

あっ!オライ(僕の家)のフローリングだ!

年が明け、支援のスタイルも日毎に変化する中、青い鯉のぼりプロジェクトでともに活動する提唱者である伊藤健人君(18歳)からこんな話を聞きました。あの震災から沢山の支援を受け、一歩づつ前に歩んでいたと自分でも思っていたのですが、歩んでいた先は次の年の3月11日でした…。この言葉を聞いたとき私は、改めて被災地の沿岸部の家も家族も街も失った人々の長く、決して癒える事の無い心の傷に触れたような気がしました。そんな中、試作を重ね人件費、製作コストを丁寧に記録して完成された1号機が出来上がり2012年3月雄勝中学校に納品されました。最初の里親は製作した東京の和太鼓の老舗、浅草の「宮本卯之助商店」様です。通常では考えられない木目も色も違う、まさに世界に一つしか無い樽状にした太鼓です。大人がすっぽり入るほどの桶状の胴は、長年太鼓を作って来た職人の手で、樽状に丸みを帯び、何とも言えない愛おしさに包まれ、涙が溢れました。雄勝中学生の子供達は3月11日は卒業式で午前中に学校行事が終わっていたため命こそ助かりましたが、54名いる生徒のうち53名の自宅は津波で流され3階立ての校舎の屋上を津波は越えて街を襲い、家族を亡くした者もおりました。その後全て流された太鼓の変わりに、古タイヤにビニールテープを貼った「輪太鼓」で復興を願い全生徒で立ち上がった子供達です。そんな彼らがこの大太鼓をどんな思いで受け取るのか、内心は心配でした。そんな中除幕された太鼓を見た生徒達は一斉に太鼓に駆け寄り、太鼓に頬ずりをし、あっオライ(僕の家)のフローリングだ!と本当にそうかは今となっては誰も解りませんが…心から受け入れてもらえたと確信した瞬間でした。そして、3月10日ともに激動の1年を過ごした3年生がこの太鼓の初打ちを披露し巣立って行きました。


千葉秀のインタビュー記事

再生津軽三味線

再生津軽三味線はこうして作られました。

制作:三味線かとう

2011年7月和太鼓に続き、宮城県東松島市と、涌谷町の内陸部の瓦礫(思材)の材質や搬出の為の調査が終了し、8月下旬ご協力を頂いておりました産廃業者から連絡がありました。現在の三味線は日本国内に生息する原木では製作する事後出来ないそうです。特に棹(ネック)の部分は調絃をする事により反ってしまわない様に硬い材質が必要で、インドなどで採れる紅木に似ているブビンガなどで出来た床柱などを中心に採取する事にして連絡を待っておりました。
三味線は和太鼓の様にコミュニティで使用される楽器とは異なり、個人使用の楽器で、使用者により細かい調整が必要な楽器である事。名称に東北の地域が記されている楽器である事から今回の被災地に関係の深い津軽三味線奏者に演奏に使用していただき、震災を風化させない為の話や、このプロジェクトの事を知っていただく活動に使用したいと考えました。
 
 
三味線加藤様の記事





再生楽器の里親制度

和太鼓は地域に密着し、祭・奉り・祀りに大きく関わって来た楽器です。そして、その製作過程から非常に高価な楽器でもあります。震災から1年が経過し、様々な助成や全国の太鼓仲間達から寄せられた和太鼓により、各地域団体も震災前の太鼓の数が戻ってきました。しかし個人で購入するにはあまりにも高価なこれらの楽器はこの状況下では生活の必需品ではありません。しかし、壊されたコミュニティーを繋ぐ為には必要な物なのです。つまり個人の生命の維持には順位の下がるこのシンボルともいうべき太鼓には「再生」と「復興」を願い、津波で崩壊した中から生きる勇気を、前に歩みだし、若い世代(未来)へその想いを伝える意味、そして地域を繋ぐ意味があります。特にこの大太鼓は更に高価なため、現在等プロジェクトへの申請および調査段階では8つの地域団体と学校からの要望申請がありましたが、後日流された和太鼓が見つかり修理をしたもの、助成金申請や寄贈により必要数が満たされた4団体が自己申告で申請を取り消した為、現在4つの団体への寄贈を目指しております。その製作に必要な費用を「里親」として出していただき、現在希望されている地域に太鼓を寄贈するというものです。
太鼓の胴にはカッティングシートで寄贈者名が掲載されます。また、両者の時間を調整し、公式な寄贈式を行ない、里親となっていただく方の思い、それを受け入れ活動をされる方々の思いを込め、新たなふるさとの関わりが出来る事で、被災地沿岸部の皆さんにも太鼓に込められた願いを未来へそして希望を持って地域活動を繋いで行きます。

宮本卯之助太鼓店

第一号再生3尺大平胴太鼓 
2012.3.7納品
里親:宮本卯之助太鼓店

寄贈先:伊達の黒船太鼓保存会

稲垣潤一東北サポート基金

第二号再生3尺大平胴太鼓
2012.4.25納品
里親:稲垣潤一東北サポート基金

寄贈先:石巻市雄勝中学校

稲垣潤一東北サポート基金

第三号再生3尺大平胴太鼓
2012.12.19納品
里親:稲垣潤一東北サポート基金

寄贈先:宮城県女川町生涯学習課/女川潮騒太鼓轟会

一般社団法人日本音楽制作者連盟

第四号再生3尺大平胴太鼓
2013.2.23納品
里親:一般社団法人日本音楽制作者連盟

寄贈先:南三陸町生涯学習課/大森創作太鼓

青い鯉のぼりプロジェクト
クラウドファンディング
稲垣潤一東北サポート基金

第一号再生再生桶太鼓 
2014.5.5納品
里親:稲垣潤一東北サポート基金/青い鯉のぼりプロジェクト

寄贈先:伊藤健人

 

稲垣潤一東北サポート基金

第二号再生再生桶太鼓 
2014.10.25納品
里親:稲垣潤一東北サポート基金

寄贈先:岩手県野田村野田中学校

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