PRAY FOR JAPAN
未来どころか明日も見えない中、無我夢中で支援活動をする中私たちは出会いました
2011年4月2日、この日は石巻市河北町で関西からの大規模な炊き出しが来るという事で私達も手伝いに行きました。太鼓の演奏も出来ないこの時期「希望の鼓」という被災地の皆さんが、今の想いを、支援者からの励ましの想いを私達のシンボルである大太鼓に書いてもらうプロジェクトを行ないながら、ボランティアの方々と作業を行っていました。 そこで出会ったのが、献身的にボランティア活動をする外人スタッフ(後に知るStu監督)でした。カメラをまわしてる様子も無く、被災者(特に子供達)と流暢な日本語で接していた事を思い出します。 前にも書いた通り、この日は一緒に活動する仲間として、大太鼓にメッセージを書いてもらい、復興してこの街に来た時今度は私達の和太鼓も聴いてください!なんて会話を交わし別れました。 しかし、奇跡はこの後起きたのです。
1週間後、見覚えの無い電話番号の電話が鳴りました。出た電話の内容は「私はボランティア支援をしながら記録を未来に残す為に映像を撮り続けている者です。日本の伝統行事の中に5月5日に鯉のぼりを揚げる習慣があり、その鯉のぼりは子供の成長を祈る意味が込められている事を知り、Webなどで調べていたら皆さんの活動に出会いました。どうぞ5月4日、5日私も手伝いますから撮影させてもらえませんか?決して邪魔はしませんから」という話でした。聞き覚えのある流暢な日本語をしゃべるその外人さんに、「先日河北町にいませんでしたか?」「えっ?ひょっとして和太鼓の!」
このドキュメンタリー映画「PRAY FOR JAPAN」には「青い鯉のぼりプロジェクト」についての当時の模様が収録されています。そう私達はこうして再会する事になりました。そしてその奇跡の出会いは映画という形で再度1年後の私達の前に現れまたのです。出来上がったドキュメンタリー映画は4つのストーリー(家族・ボランティア・避難所・学校)から出来ており、私達が映し出されているのは「家族」のストーリーになった「青い鯉のぼりプロジェクト」でした。
このドキュメンタリー映画「PRAY FOR JAPAN」には私達の曲が随所で挿入されています。
PV(このページのトップ)のBGMは私達の曲「瑞響(作曲:佐藤三昭)」です。また、北米上映用PV(下記動画)「では「雲間の太陽(作曲:いがり大志)」が使用されました。
この他にも「大地の詩(作曲:佐藤三昭)」「紅い花(作詞/作曲:ヨシケン)」が使用されています。奇跡の出会いで、生の私達の音楽に触れていただいたStu監督が、この震災直後の活動とともに、毎日の様に聴いた楽曲がそのまま彼の中の風景と一緒に記憶の中に刷り込まれた様です。こうした形で世界中の方々に観て、聴いていただけるのはとても励みになります。また主題歌は奥田民生さんの「.jp」が、鈴木京香さんが朗読を、同じくボランティアで参加しました。
この映画に撮られている頃にはまだ出会っていなかった雄勝中のみなさんも映ってました。
改めていくつもの奇跡で出会った人たちの、まだ出会う前の戦っている姿をスクリーンの中に見つけました。 「学校」のストーリーで出てくる雄勝中学校は、震災年5月後半に足を運び、その後和太鼓指導を行なっています。